有限無限

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【光太郎の朝】選り好みの論理


飲み会でのひと時、同僚や先輩たちとのくつろぎのさなか。
将来、誰が出世するのか、だれがリーダーシップを取って会社をけん引していくのか、そんな話題がサラリーマンにはよくある光景だ。

 

光太郎:「『頑張っていれば何とかなる』なんて言葉、昔から使い古されてますよね。あれってサラリーマンには辛くないですか?
だって、みんなが望めば上級役員になれるわけじゃないですし、
必ずしも仕事ができる人が出世するとは限らないわけで…」

 

一同:「・・・」

そこに、入口のドアがガラガラ~っと鳴った。


W常務:「おう! …あれ? 今日は何の会や? みんなそろってお祝いか?」 
突然の乱入者は、同社のW常務であった。


かけつけ三杯&世間話や普段の出来事報告会を兼ねて皆で話したあと、
回りまわって、先ほどの誰が選ばれるかという話になった。

 

W常務:「俺もとにかく頑張ったことは頑張ったよ。
色々な事情が重なって結果的に出世できたんや。
先輩社員を見てきたが、優秀な人が同じ時代に複数いても、
みんなが出世できたわけじゃなかった。

それはどの時代もじゃないか。

 

だから、今でもベストな個人と会社の関係っていうのはどこにもないんじゃないか?とおもうなぁ。

 

でもな、事実関係でいえば、、、

個人は入社したい会社を選り好みすることができる。
お前たちだって、うちの会社以外にも就職希望だしてた奴はいるだろ?
でも入社後、仮にやりたい仕事につかないとしても、文句は言えない。
もしも嫌なら、辞めるという権利がある。


その一方、

会社は個人を選り好みできる。
誰にどの部署で何をさせるか、誰を出世させるか、節目ごとに人選の権利がある。

でも、もし人選が失敗したからと言って、個人を訴えたり、

今まで彼を教育した社員教育費用等を返せとはならんだろ?

それが公平な関係というものだ。 

うまく釣り合いが取れているというものだ。」

 

個人と会社の関係。なんだか、不思議な感覚であった。

 

そういうW常務も、昔は平社員で入ったわけで経営者ではなかったわけで、

それがいつの間にか、経営陣側に回って会社側として話をしている。

会社とはそういうシステムだ。 と言われればそれまでの話だ。
しかし、光太郎はそこに不思議な違和感を持たずにはいられなかった。


例えていうならば、ミイラ取りが長年の勤務を経て、結局ミイラになっていく。
そんな巧妙なシステム構造になっているのではないか?


W常務も確かに正論を言ったまでのことだろう。
しかし、選ばれなかった人が活躍すると考えられた可能性や機会のことは、
”当然だが” サラリーマンの世界では話題にはならないのだ。

サラリーマンが当然の働き方である時代はそれが普通だったのであろうが、
今後の時代を考えるとそれが必ずしも当たっているようには思えなかった。

W常務が目の黒いうちは、この体制が維持されるから、老後の心配もなく、
経済的なことや働き方を検討していかなければならないという問題から
逃げ切ることができる。

・・・では俺たちは?
その時が来ればしなやかに対応すればいいのだが、
その時が来る確率は十分に上がっているんじゃないの!!??

昨今、光太郎は不本意な業務をさせられていたことも手伝ってか、疑問が募るばかりであった。