言葉は想いのシルクロードを超えて行けるのか?(その1)
奇妙なタイトルですいません。
昔々、ペルシャの絨毯や織物、工芸装飾品などなどが交易ルートであるシルクロードを通って、インド、中国を経由して、終着駅である奈良にやってきて、正倉院に宝物として伝わっていますね。
人間っていうのは、古来からそうやって価値の交換をすることで生きてきたわけですが、物だけではなく文化や言語の疎通も行われてきました。
そこで感じたことなんですが。。。
使用している言語が変わることで、使う言葉のイメージや意味合いって変わっていく現象ってないのかな?? あるだろ??
ってことなんです。
たとえば、、、
般若心経
有名なお経ですが、元はサンスクリット語で、梵字で書かれた経典です。
それをあの西遊記で有名な玄奘三蔵さんが中国語に翻訳してできたのが般若心経ですよね。
あのお経、
日本語では、♪ぶっせつまかはんにゃ・・・と唱えますが、
中国語では、♪ふーしゅお・・・ といきなり全然違ってます!
これって本当にルーツは一つかいっ!!ってなくらいでしょ?
(各国によって発音の違いが分かる般若心経のようつべを貼っておきます)
あと南無阿弥陀仏という念仏、、、
あれも日本人は
なむあみだぶつ と唱えていますが、中国人はなむあみとーふ です。
唱えた念仏の音声そのものは全く違いますよね。
結局のところ、何が本当の発音なんだろう!?
般若心経 Heart Sutra ~サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング - YouTube
色々考えればあるんだけど、今日はこの辺で~