はい、本日の言いたいことです。
昨今そんな本やフレーズがメディアを賑わせましたね。
心配事の9割は起こらない…って。
・・・何を言うとんねん!!
■最近のメディアは薬物化してるんじゃないか???
賢明な皆さんは、そんな奴らに騙されたりしないでください!
昨今色んな出来事が起こっていて、それをさらに細かく報道する技術やチャンネル
(ネット、SNSなど)が整ったためか、個人に入ってくる情報量はそれを摂取しようとすればほぼ無限に入ってきます。
そんな中、情報疲れを癒すかのようなこのフレーズ。
”心配事の9割は起こらない” ...アホかっっ!!
こういう主張は一時的な癒しや気晴らしが出来る
アルコールやたばこ、薬物のようなものです。
現実そのものは何も変わりません。
だからこそ、皆さんくれぐれも気をつけてください!!
■受け止め方(=認識)について
以前筆者はこのようなブログを書きました。
何が言いたかったか、端的に言えば、
・目前の現実が問題だと認識すれば問題になる。
・その人の認識能力次第で、問題と定義する精度が変わる
ということです。
大昔、哲学者ニーチェも言いました。
"事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。"
と。
お釈迦様も言いました。
”心の持ち方次第だ” と。
あるいみ広義において今回の論点に当てはまります。
(哲学的な意図や意味もありますが、それはまた別の話)
そもそも問題として認識していない場合は問題(=心配事)でもないでしょう。
その人の認識能力が低いからです。
大抵は北に存在する、複数の悪徳嘘つき国家から
怪しげなミサイルが飛んできたとしても
自国民や家族が虐殺されても
約束したことをあたり前に反故にされても
”問題ではない”と言い続ければ問題じゃなくなるってことです。
でも、そんなのありえませんよね。
生存の危険まで脅かすような何の信用も出来ない相手と付き合い続けられるのか?って。
今のは例えが大きいですが、身近なところでもそんな話たくさんあると思います。
もちろん、認識していてもやり過ごせるようなものは黙認していればいいんだけど
それは処世術的な別のお話になりますから、ここでは論じません。
■人生は最低最悪と最高最良のシナリオの間を通っていく。
日々生きていて、周囲の人とお話していて、
”こうなりたい、あるいは、こうはなりたくないって
思ったり話題になったりすることってありませんか?
人はある程度将来にたいして予測しながら生きてると思います。
筆者が見ていて、
仕事や生きていくのが上手い人は、その2つのシナリオの幅が非常に狭いです。
予測精度が高ければ2つのシナリオではなく限りなく1本に近い幅になるというわけです。
もちろん、振れ幅の大きな局面も予測されます。
であればその時の予測精度も高いので、振れ幅すらも織り込んで生きてるのです。
■結論
・心配事の9割が起きない人は、良くも悪くも認識能力が甘い
・そういう論調が流行るというのは、メディアが薬物化してる証左
・受け止め方次第