1988年
その当時、印象深いコピーがありました。
『ほしいものが、ほしいわ』
西武百貨店の広告コピーで、あの糸井重里さんが手がけたという。
「なぁに言ってんだ?ほしいものがほしいにきまってんだろ!?」
当時は、変なコピーだと思いました。
しかし、今から振り返ってみると、なるほどと感じさせられます。
88年といえば、バブル絶頂期にあって、ちょっとくらい贅沢したってまたお金が入るから心配無い。って思ってた時代ですよね。
生活必需品は買い揃えられ、普通に生活するのになんら不足しているものはない。
不足しているものはなかったのです。
終戦~成長期にかけて、よくあったという、
”夕ご飯の味付けをするためのお醤油を切らしたからお隣にちょっと借りに行く” なんて付き合いなど、もはや無くなった状態。
そういう状態にあって、何を買いに行くのか??
ほしいものを買いに行く。
でも、ほしいものって何?? って言われても、ほしいものがぼやけた時代だったんですね。
経済的に余裕はある。でも何を買いたいってあんまり思い浮かばない。
百貨店に行き、売り場に行き、陳列したものをみて、、、、、欲しい物が欲しいわけですよ。
さてバブルが崩壊し、世界的な不況を経験した現在、何が欲しいんだろうと考えていました。
でもやっぱり、 欲しい物がほしい という図式は変わらないと感じてます。
むしろその図式はより強固になって行ってるのではないでしょうか?
ムダ金は使わず効率的に金を使いたい という心理が強まっていますからね。
人は見せられた物を選んで買うわけです。
もっと言葉を付け足せば
提示された選択肢の中で欲しいと思ったものが欲しい わけですよね。
一般的に、”移動手段が欲しい。” と考えるならば、車、バイクなどを思いつくでしょう。そして、車でもどんな車を買うのか、用途によって細分化されているラインナップから選ぶ…というように。
けれど、もしも店頭に移動手段としての どこでもドア が手に入りやすい価格で量産販売されているのならそっちを買う人も出てくるはず。
欲しいものって、やはり提示されて初めてお客さんは選べるし、買うことができる。
ガラケー全盛期の時代に、今では当たり前のタッチパネル式のスマホがイメージできた人がどれだけいるでしょうか。
パネルでの入力がめんどくさかったり、誤認識するような諸々の問題を乗り越えたiPhoneがでてからというもの、お客さんは一気にそっちを選ぶようになって行ったように。。
これって、後発でビジネスを起こす人にとっては元気が出る話ですよね。
一見、ユーザー動向も販売体系も完成されつくしたような市場に見えて、実はマーケット構造は刻一刻と姿を変え、また新たなニーズや考え方が無限に存在する。
答えは一つではない。成功という頂上を目指したとしても、ルートはたくさんあるって思わせてくれますよね。