言論的当たり屋に気を付けろ
90年代までは、ニュースという情報を摂取するのは、テレビラジオ新聞でした。
そしてネットが生まれ、摂取場所が移って行きました。
■最近のニュース動向
テレビのニュース番組やポータルサイトのニュースを見て思うのですが、
最近のニュースって、身近なものとそうでないもの、あるいは受け入れるべきものとそうでないもの ってあります。
たとえば、消費税率が**月から**%あがりますよ~とか、
防災避難訓練のアラートが携帯に出ると思いますからよろしく~とか、
大雨や地震などによる特別警報…
こういうのは社会生活で知っておくべき価値がある身近な情報だと思うんですが、
たまに”そんな情報いらんのじゃ~!!”っての、ないですか?
妻子持ちの芸能人がひと回り以上年下の若い女性との不倫したとか、
覚せい剤やってつかまったとか、芸能人同士の不仲とか…
その芸能人のファンとか、それで儲けてる関係者でない限り、
本当にどーだっていいわけです。
そりゃぁ、極端な海外ローカルな話題ではなくて、国内の話題でテレビとかにでてる有名人だし、小さい国の話だから、中途半端に親近感がわくから、そういうもんなんだろうとも思えますけどね。
あるいは、ちょっと微妙に社会生活にかぶるような話題。
たとえば、為替。
円高/円安、どちらであっても問題があるわけですよ。
なのに、どちらでもニュースは話題にするでしょ?
頻繁に世界を股にかけて移動するならば重要な情報です。
海外調達購買をしているならば、身近な情報です。
でも、”それを聞いてどうなの??”っていう人がその情報で一喜一憂してどうするの??
で、一番気になったのは、それを見てネットやSNSとかでブツブツ言ってる人。
それに関して無理に記事にあげてる人。
彼らは彼らの流儀で生きているので、いっこうに構わないんですが、
自分たちの関係の無い情報を発信する彼らに時間奪われないように気を付けましょう。
■有限なもの
人間の行動エネルギーは有限です。
前に書きましたが、寿命という時間的制約もありますし、現時点では地球とい小さい世界でしか活動できない空間的制約もあるのです。
人はそれぞれ何かやりたいことをやっているのならばいいのですが、
情報摂取の途中に目に入りがちなこういう情報に時間を取られるのって非常にもったいないというか、危険というか。。。
多少無駄な情報をインプットすることで、新たな発想の広がりの可能性を持たせるっていうのはわかるんだけど、やり過ぎると危険です。時間取られちゃう。
■どんな生き方を選択するのか。
とある記事を見かけたんですが、民主党政権時なら民主党のやり方が悪いといい、
違う手法の自民党になったら、またそれが悪いって言って、
”じゃぁ、あなたは何ができるの??”って迫られたら、大して社会に影響をおよぼせるようなものが無いばかりでなく、自分のライフスタイルすらちゃんと確立できてない人。
そんな人たちは、散々記事に上げといて、いざ自分に打席やチャンスが巡ってきても、かなりの高確率で実行に移せません。
ウジウジ言いながら何もアクションを取らないのがナリワイだからです。
逆に、無口に行動をとる人
口数が増えると手が止まる、手が動くと口数が減る っていうのは、
幼児や小学生の子供たちを見ていても察することができます。
昔から、不言実行 って言いますけど、あれは長い人間生活の経験則なのかもしれません。
でも、周囲に何も言わずに成果を報告ことに、現代は待ってくれません。
今、何やっているのか周囲に理解を求めた方が良い場合が多いです。
やはり有言実行が美徳なんだろうけども、それでも、何もしない人より不言実行する人のほうが輝いていますよね。
これって結局生き方の問題に帰結するのかなとも考えてます。
それでええねんと思っているや、疑うことすらない人はそのままでいいんじゃないかな。
取り留めもない結論だけど、
要するに、中身の無い情報にあおられる人にならないよう、私たちは気を付けましょうねってことです。