『組織はリーダーを超えない』
『子供は親を超えない』
一般的によく言われるフレーズですよね。
リーダーの采配で動いている組織なんだから、彼の器量がその組織の限界
親が家庭を切り盛りしているんだから、経済的思想教育的器量がその子供の限界
ということなんでしょう。
もし限界を超えてしまった場合、
組織はメンバーを制御統制できなくなる、
親は子供を理解できなくなる
ということなんでしょう。
一方、限界なんて無い。無限の可能性があるんだよっていう人もいます。
あれってなんでしょうね。
この話を原点として、色々と考えられることが多くあります。
■よくある話で。。。
あるいはこういう話も聞いた。
貧困層の世帯の子供というのは、あまり大きな夢を見れないのだとか。
”夢なんか見放題でしょ?そんなわけあるかよ~”って思うのだが、現実的にそういう
傾向もあるのかもしれません。
人間は成長の過程、幼少期に思想体系が固まるわけだから、
子供のころに経験したことが常識としてその人にインプットされるわけです。
たとえば、お金を得るのが簡単というイメージがある子は、比較的楽観的にお金を考えるだろうし、親や周囲がお金儲けに苦労しているのを見ている子は、その逆にお金儲けに難しさを感じるだろう。
そして、その原体験で成長し、人生の途上でそれを破壊されるような経験が無ければ
そのままのイメージで年を取っていく。
貧乏の子が貧しいとか、賢い子の親が賢いとか、金持ちの親が支援しなくても子供が金持ちになって行くのは、こういった世代間の見えない伝授があるからではないだろうか。
そして、一般的にいって
人間は予想した範囲で物事を考えるようにプログラミングされているのだから、予想外の事が起こったらどうしていいのかわからなくなってしまう。
子供なら、未経験なことを日々経験することに慣れているだろうが、普通に単調な人生を生き始めた大人ならばもっとそう思ってしまうだろう。
■世界観は自分が勝手に決めている
などの話に触れるに、人間というのは、プログラミングされた価値観と人生途上で得た経験をもとにして、いわば勝手に世界観を定義しているのです。
つまるところ、世界観というのは、自分自身が感じた物やイメージでしかないのです。
そしてそれは自分で作っているのであって、それは本当の世界ではない可能性が大いにあるってこと。
あるいは、世界観を誰かに説かれたとしても、それを受入れるからその人の世界観となるわけです。受入れなければその人の世界観が変わらないわけですよね。
社会人になった大人が後輩や子供に向かって、説教垂れる状況があったとします。
”社会とはこうだ、世間とはこうだ”っていう。
あれってよく考えると、
その大人がいう”社会”っていうのは、”その大人が見た社会”であって、
”本当にありのままの社会”ではないよーってこと。
80年代に海外旅行がはやり出した時代、
ハワイに行ったらみんなハイビスカスの首飾りして、
オランダ行ったらチューリップと風車で、
ドイツは女性はみんなディアンドル着てたーって、
現地行った観光客が経験語った人を信じればそう思うでしょう。
ですが、もちろん当たってるけど、それはその国の断片であって、
全体像ではないのです。
また、牛のおしっこで頭髪を洗う民族がシャンプーで頭泡立ててるのを見たらびっくりするでしょう。(逆もだけどね)
でも、それを日常的にやっていたり、そうやって生活するんだよって習慣づけられたら、それが世界観となって行くわけです。
現代人は、
事実は事実として受け止めるべき部分と、情報が溢れすぎて、どれくらいの確率かもわからない想像や予測でしかない事まで事実として受け止めがちなんじゃないか。
また、情報が溢れているからこそ、やっぱり自分で新しい世界を見て回ろう、違う価値観に触れていこうっていう前傾姿勢が求められるんじゃないか?
そう考えると、もっと広い世界を見に行って
今見ている常識が当たり前と思わずに自分なりに判断し消化できるようになるってことは非常に大事。
人生は可能性に満ちているし、常識は疑ってかかる価値がある。
定められたルールなんていうのも、本当に必要なものなのか誰得なのか、
よおく自分たちで見た方がいいですよね。
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