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【光太郎の朝】社外の人々との交流―水鏡先生のような男

 

http://www.flickr.com/photos/37246405@N06/14501543063

 

 

『何だ・・・この得も言われぬ、閉塞感は...』

 

光太郎は、
先日生じた社内トラブル(過去エントリ参照)、
昨今の当事者である社員にも理解不能な業務指示に対して
未だ腑に落ちない感覚を抱えていた。

 

同僚に相談しても、概して、
”組織って、会社って、そういうもんだ。あんまり難しく考えんな”
といったような、同様の回答が返ってくる。

 

これは社内だけの問題だろうか、それとも世間全般共通に当てはまることなんだろうか。

 

■社外の人々との交流-水鏡先生のような男:椙本

 

リーマンショックが生じる数年前に企業コンサルティング会社を立ち上げ、
日本中の顧客各社に対し、社長である自ら営業活動をする
椙本は、光太郎の10年来の知人であった。

 

彼は気さくな雰囲気を出しつつも、会話の端々に潔く澄んだ想いや思想を感じさせる男であった。
光太郎にとって、それはまるで、まだ在野時代の劉備玄徳に色々と指南したメンターの水鏡先生のような存在であった。

 

出張の都合が合ったため、その夜は光太郎と夕食をした。

 

光太郎は、自分が属する組織現況、そして組織を統括する側の意見を聞くために、椙本に相談したのだった。

 

 

椙本:『水槽の中で泳ぐ魚であるか、大海に泳ぐ魚であるかの違いじゃないかな。』

 

光太郎:『???』

 

椙本:『人間を魚に例えて話をしてみます。
会社という組織の営利目的のための規範の中でしか動けないというのは、いわば水槽の中で泳ぐようなものです。でも、それが取り払われたらどこまででも行ける。魚次第ですけどね。』

 

光太郎:『なるほどね。』

 

椙本:『もちろん、会社という水槽のおかげて助かる面もあるし、辛い面もあるんです。たとえば、定期的に餌を与えてもらえるし、息苦しくなれば水を変えてもらえたり、水槽が小さければ入れ替えてもらえることもある。
給料や、職場環境の整備、部署移動や栄転という名目の配置転換などのことです。』

 

光太郎:『椙本さん、うまく例えますねw』

光太郎のコメントを敢えて無視して、ほほえみながら続ける椙本

 

椙本:『でも光太郎さん。
飼い主の考え1つで水槽の魚はどうにでもなるという事なんですよ。
魚を飼って死なせる人っていますよね?
飼い主が、餌を与えなかったり、微量だったり、濁っても水を変えなかったり、魚が大きく成長しているのに狭い水槽しか用意できなかったり。そんなとき魚はどうなりますか???』

 

 

 光太郎:『・・・』

 

光太郎は容易に想像できた。
餌が無ければ死ぬだろうし、居心地が悪いところでは泳ぎにくい。
椙本はそれを魚に例えて話しているが、まさしく人間の事だ。
給料や職場環境を容易に想像できた。

 

椙本:『もちろん、その水槽で寿命を全うすることが幸せな魚もいます。
水槽に自分を順応させることができる魚のことです。それはそれで幸せ。
しかし、もっと大きな世界、もっと心地よい環境があることを知っている者、知りたい者にとっては、水槽によっては満足できないのかもしれませんね。(笑)』

 

光太郎:『確かに、自分で豊富な餌場を快適な環境を見つけに行ける魚の方が良いですね!』

 

椙本:・・・でも。水槽から出たら、自分より大きな存在に丸呑みされることもあるかもしれませんよ。』

 

 

光太郎:『・・・!!』

 

椙本:『いえ、会社を辞めるように勧めてるわけじゃないんです。ただ、そういう世界もあることを伝えたかったのです。』

 

 

組織というのは、会社に限らず日常的にありふれているし、親しみもある。

しかし、会社組織という状況に悩みを抱えだした光太郎にとって、その夜は忘れられない夜になった。

 

photo by melusina parkin