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失われた技術をどの程度惜しむべきか?

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写真はネットのフリー画像サイトで拾ってきたものですが
建造中の大和の後部から撮ったものです。
3本の大砲(三連砲)が中央あたりに大きく写っていますね。

 

その大砲についてなのですが、

戦艦大和の主砲の砲身を作る技術は、失われた技術だ”

と言われています。


というのも、当時は巨艦&大砲が武器として主流でしたが、
その後、命中精度の良いミサイルの開発や航空機器の発展により、
巨砲の製造技術が不要となってしまい、それに伴いそんな大きな砲身を作るための生産設備も、そして、それにまつわる職人も不要となって行ったため、現在において砲身を作る技術は無い ということになったということです。

 

あまり馴染の無い方なら、『そんなのスケールの大きい鉄製の筒を作るだけやん』と簡単に思われるかもしれません。しかし、金属加工っていうのもノウハウがあって、材質や硬さによって、同じ形でもスケールダウン、あるいはアップしたら作り方を変えないといけない場合が多く存在するのです。


それらの製造技術を培い、当時砲身やその設備を作っている技術者や職人にとっては、とても辛かったんだろうなと思います。
技術開発や製作にあたり、作業服を真っ黒にしたり、軍部から納期のプレッシャーをかけられ、そのことが頭を離れず何日も徹夜したりと、自分の重心をそこにかけて苦労して、そんな経験をした人にとっては愛着と価値があるものです。

 

しかし、時代やニーズに合わないものは作る必要はない。
結論から言えば、そんなの仕方ないということです。

問題は失われた、あるいは失われつつある技術とどう向き合うかってことです。

本当に次世代に持っていけない技術なのかどうか。
多少、あるいは一部もって行けるのならもっていけばいい。
でも、惜しみすぎたり、しがみつくことで次の新技術に向かえなかったりする機会損失も考えるべきです。
次に得られるいいことが待ってるはず。

今でこそ有名な部品で一社独占のようになっている会社がありますが、会社沿革を拝見すると、以前は別の事業分野だったけど、変化に応じて転身していった企業もたくさんあります。
たとえば、あの任天堂は昔も(今も)トランプ販売の会社というのは有名ですが、ベビーカー製作やラブホ経営、マジックハンドを作っていたのを知っているのは少数の人ではないでしょうか?

 

需要があるから技術が失われない っていうのも違うと思います。

だって、需要があっても安く作れる製品にとってかわられるから。
昔はザルも竹製だったはずが、いまではプラスチックや金属製ですし、100円で売ってます。 

 

真空管やレコードの針も消えていく技術といえばそうなのかもしれません。
でも、新たにCDをつくるという製造技術が台頭したわけで。

そういういみでは、惜しむ技術が存在するときは、新たな技術革新のチャンスが芽吹く時なのかもしれませんね。

 

あと、、、極論を言えば、我々人類は、無尽蔵に予算と時間さえあれば、何だってできる。

タイムマシンだって作れるんです。金と時間があればね。

 

技術ってそういう意味では面白い。
有限な世界で無限の可能性がまだまだ存在する。 

 

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