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【光太郎の朝】あなたは名刺の何を見ていますか?

http://www.flickr.com/photos/88175345@N00/59748346

 

■ とある日の光太郎の同期、安木川泰三との会話。

 

安木川:『ところでさ、初対面の人と名刺交換して名刺の何をみてる?』

 

光太郎:『対面してるんだから、相手を見るようにしてるけど。
     名刺かぁ…書かれてる情報すべて参考にするけど。なんで?』

 

安木川『じゃ、書かれている情報の順位ってどんな感じ??』 

 

光太郎:『会社名>肩書き>住所>電話/FAX番号=メルアド>名前 かなぁ。』

 

安木川なんで、その順番?』

 

光太郎:『仕事上の付き合いとしてその人をみるなら、
      取引先としてのサービスや商品を買うから、その順番になるかな。 
     その後、取引が繰返されたら、担当者によって対応が変わってくるから
     その時点で名前を重視するんだろうな。』

 

安木川『なるほど、納得。
    でも…そう思うと俺たち、社名や肩書き無くしたら何になるんだろうな

 

光太郎:『そら、、、ただの人じゃないの?

     俺もお前もただの人。(笑)』

 

安木川『(笑)

 

■ あなたって誰ですか?

笑って会話を済ませた光太郎だが、心に残ることがあった。
”社名や肩書が無ければ名前しかなくなる” と自分で発言したものの、
もし自分が今、名前だけになったらどうなるのだろうか・・・

 

”今、お付合いしてくれている人のどれくらいが継続してくれるだろうか。”

”自分がどんな状態になったとしても一緒にいてくれる人が何人いるだろうか。”

”肩書のない人はどうだろうか。”

たまに出会う光景だが、仕事上の取引をするわけでもないのに自己紹介をするとき、

『私は、社の〇〇です。』とか、さらに付け加え『そこの部長です』という人がいる。

そんな人たちは、所属組織や肩書を提示することによって、
取引や人間関係が心地よくはかどった経験が、おそらくあるのだろう。 

 

■ 組織という巧妙な手口

本来、人は ”ありのままのその人” で判断されるべきであって、
かりに仕事であったとしても、所属組織ではなく、当人の能力やスキルがその人の特徴として判断されるべき基準だと光太郎は思っていたが、自分自身でも長い会社生活で社名や肩書きを重視する傾向にある自分の変化に驚いたのだ。

 

会社から一歩外に出れば、ただの人でしかない。
また、定年が70になろうと80になろうと、会社は遅かれ早かれ辞めるものだ。
社名や肩書きを背負ったまま天国に行けるというわけでもない。

 

しかし、その組織や肩書で得られた権益があるからこそ、
そして、それを手放した後の自分を想像できないからこそ、
それにしがみつく人は後を絶たないのではないか?

 

だから、仕事で追い込まれて自殺までする人がいるのではないか?

だから、定年後、セカンドライフで人間関係が一気に希薄になり、孤独死をするような人がでてくるのではないか?

 

いったい、なんだ??

この現代においても、このしっくりこない違和感。

 

光太郎はそんなあと味の悪い想いでその日は家路についた。

 

会社って言葉、ひっくり返したら、社会になるんだな (笑)

そういう誤解を生むような日本語表現が深層心理におかしい影響を与えてるんじゃないか??


なんてことも考えた秋の夕方であった。

 

photo by ZhangYining