おじさんくさいことを書くようだけど、最近の若い人は、発想力に乏しいという。
いろいろな情報を想像しなくても、検索すれば容易にひきだせる。
想像しなくても、映像や画像を瞬時にひきだせる。
そんな時代だから、想像するより、検索したほうがはやい。
現代はテレビ、ネット、電話など、情報伝達手段があるけれど、
昔のひとはそうではなかったですよね。
文明開化以前は、情報伝達手段は書物しかなかった。
なにかの製法をつたえる技術書、人々の思いや男女の情念を伝える小説、教義や思想を伝える経典…
紙が高価な時代に、伝える側も有限なページ数の中で、伝えるべき情報をそうでない情報と分別し、必死に執筆したことでしょう。
また時を超えて現代にも伝わっている書物というのは、情報の受け手に相当の想像力や応用力を持たせ、伝えることができる。
つまり、伝える人々に情報の精製能力があったと思う。
一方、情報を受ける側もそれらを学ぶために、書物を隅まで熟読したと思う。
さらにそこに書いてあることが、現実的にどんな風に適用されるのか、
実用化までの姿を想像したのではないだろうか?
そんなこんなの読書習慣のうちに、
想像力豊かな人は書かれている内容を昇華させて、
さいごは自分のノウハウとして完全に取り込めるのではないか。
そうすることで自分の技術であったり、知見を向上させてきたのではないだろうか。
いわば情報の想像能力があったと思うのだ。
昔のひとは読書が好きだった。
ではなく実は読書しかなかったのではないかと思うんです。
書かれていることを読み漏らしては、折角のチャンスとヒントをのがしてしまう。
だからこそ、読み漏らさないよう、敏感に集中力を上げ想像力も上がるのではないか。
だから、メディアがあふれかえっている現代はそれに反比例して、
発想力が乏しい人々が増える。
だからダメなんだよ。。。ではなくて、
そんな現代の欠点をおぎなうような何か…何かがひつようなんじゃないかな。
と節分を終え、新たな季節に突入する今日この頃に強く感じたわけです。
『そういうお前はどうなの??』って言われてしまいそうだが、
自分の研鑽課題もあることをお許しいただいて、
あえて棚上げして書こうと思ったわけです。
追記:
もちろん、昔の人でもメディアに無頓着な人、情報弱者もいたでしょうけど、
そんな末枝の本質的じゃない話はここでしません。。。よろしくね。
photo by Bruno Leonardo Mendes